「令和3年3月11日みやぎ鎮魂の日」

 皆さん,静かに黙祷を捧げてくれてありがとうございました。
 昨日,皆さんの先輩に当たる本校の卒業生が二人,来校しました。10年前の今日,その先輩は,大曲小学校4年生だったそうです。あの日のことを語りつぐボランティアを現在されているとのことでした。これから,その先輩が経験した実話をもとにした絵本の読み聞かせをさせていただきます。
 皆さん,どうぞ自分だったら・・・という思いで聴いてください。

P1「ひとりじゃない」
 武山ひかる 作・絵   高橋さつき 実在の人物

P2 あの日のことは 今でも忘れられない -2011年3月11日-
 ぼくたちの日常は大きな揺れと真っ黒な波にさらわれた

P3 ふああ~もう朝かあ 寒いし,眠いし,布団から出たくないな。 でも,ちゃんと  起きないとお母さんに怒られちゃう。「よしっ!!」服を着替えて準備しなくちゃ

P4 「さき!早く起きなさい!遅刻するよ!!」キッチンの方からお母さんの声がする
 「わかっているよ!」うるさいなあ,今行こうとしていたところなのに
 朝からとってもいやな気分だ

P5 「もうすぐでお兄ちゃんになるんだから,ちゃんとしなさい」とお母さんに言われた。 けれど,僕は「うるさい!!」と言って「行ってきます」も言わないで学校に向かった。 家を出るときに見えたお母さんの顔はとても悲しそうに見えた

P6 「暗い顔して,どうしたんだよ」学校に着くと友だちのこうくんに声をかけられた
 僕は家を出る前にあったことを話した。すると,こうくんは「家に帰ったら,ちゃんと 謝りなよ」と言った。少しだけ,心がすっきりした

P7 6時間目の授業 もうすぐ帰れる!でも,苦手な理科のテスト
 ぜんぜんわからない どうしよう

P8 ~14時46分~
 ゴゴゴゴゴゴゴ 教室に今まで聞いたことがないような音が響いた
 「なんの音!?」みんなもびっくりしている

P9 「机の下にもぐって,頭を守れ!!!」先生が叫ぶ
 だんだん揺れが大きくなってきた
 僕は「テストがなくなった!やった!」と思いながら,机の脚をおさえた
 まるで,教室をシャカシャカ振られているかのような激しい揺れは,とても長い時間
 続いた。僕は怖くなかったけれど,周りからは悲鳴が聞こえた

P10少しだけ揺れがおさまってきて,「外に避難するよ!2列でついてきて!!」
  と,先生が言ったので,僕たちは上靴のまま校庭に避難した。泣いている友だちも
  いたけれど,テストがなくなって嬉しそうにしている友だちもいた

P11校庭に避難して少しすると,お父さんとお母さんが迎えに来た
  朝のこともあって僕は少し気まずくて,お母さんの顔を見れなかった
 「赤ちゃんのための服 取ってくるね」とお母さん
 「なら,僕のゲームも持ってきて」お母さんに頼んだ

P12さっきはあんな風に言っちゃったけど,本当に大丈夫なのかな
 「津波が来るって言ってたけど・・・危なくない?」
 「お父さんも一緒だから大丈夫よ すぐ帰ってくるからね」
 そう言ってお母さんとお父さんは家に戻ってしまった。心配だなあ。

P13お母さんたちが戻ってから僕は体育館に避難した
 体育館には,避難してきた地域の人や友だちがたくさんいて,
 鬼ごっこをしている友だちもいた
 「早くお母さんたち戻ってこないかなあ 僕はそわそわしながら待っていた
 少し経ってから,先生から校舎の教室に移動するように言われた

P14体育館から3階の教室に移動してから少しすると 真っ黒な「手」みたいな津波が
 じわじわと校庭にあった車を飲み込んでいって
 車を飲み込んだ津波は,校庭でぐるぐると洗濯機みたいに,うずを巻いていた

P15夜になると,教室は停電で真っ暗 お父さんもお母さんも帰ってこない
 おじいちゃん,おばあちゃん・・・みんな大丈夫かな
 僕の家は海に近いから,津波で流されちゃったかも。
 「お父さん,お母さん早く帰ってきて。さびしいよ。」
 泣きそうになったけど,もうすぐお兄ちゃんだから,泣かないよ。

P16地震の日から少しすると教室におばあちゃんが来てくれて
 おばあちゃんは泣きながら僕を抱きしめて「よかった」と言った
 おばあちゃんに,こんな風に抱きしめられることは初めてでびっくり
 ちょっとはずかしいな
 
P17おばあちゃんが来てくれた日の夜
 僕は,お父さんとお母さんに会うことができた
 「ごめんな。お母さん死んじゃった」とお父さん
 僕は,「どういうこと!?お父さんお母さん!!」と叫んだけれど,
 お父さんとお母さんは消えてしまった

P18気が付くと,僕は教室にいた。 よかった。夢だったんだ。
 お母さんが死んじゃうわけないよね。こんな怖い夢、早く忘れよう。

P19起きてから廊下を歩いていると,先生に「大変だったんだな」と言われた
 どういうことだろうと思ったけれど,先生には聞かなかった
 もしかしたら夢で見たとおりなのかもしれない・・・

P20先生と話をした後,泣きそうな顔をしたおばあちゃんが
 「お父さんとお母さんね,死んじゃったの」と僕に教えてくれた
 僕は,もしかしたらと思っていたけれど,信じたくない気持ちでいっぱいだった。

P21おばあちゃんと話をした後,お父さんとお母さんにお別れをしに来た。
 でも,僕はお父さんとお母さんに会わなかった。
「あんなの僕のお父さんとお母さんじゃない」「こんなお別れだなんて,いやだ」
「さようならなんてしない」僕はずっと下を向いていた

P22夜になって僕はずーっと考えていた
 なんで,朝にお母さんとケンカしちゃったんだろう
 なんで,ごめんなさんって言えなかったんだろう
 なんで,危ないから帰っちゃいけないって言えなかったんだろう
 なんで,ゲーム持ってきてなんて言っちゃったんだろう
 なんで,僕だけ置いていっちゃったの?
 なんで,僕だけ生きているの?
 僕の頭の中は「なんで?」でいっぱいだった

P23あのあと,小学校の避難所は閉鎖されて,新しい避難所に移ったり,
 学校が始まったり,たくさんのことがあった
 仮設住宅も完成して,みんな喜んでいたけれど
 僕は全然嬉しくなかったし,さみしい気持ちでいっぱいだった。

P24仮設住宅に来てから少し経ったとき
 僕はふと,お父さんとお母さんに言われたことを思い出した
 「ちゃんとありがとうが言えるようになりなさい」
 「つらいことがあっても必ず助けてくれる人がいる」たしかにそうだった
 困っている僕たちを助けてくれる人たちがたくさんいた
 泥だらけになりながら,辛い仕事もあってすごく大変だったはずなのに
 僕たちを笑顔で励ましてくれた
P26炊き出しにお祭り,ゲーム,クリスマス会。初めて食べるものもたくさんあった

P27思い返してみれば,全部が辛くて悲しい出来事ではなかったかもしれない。辛くて
 悲しい出来事はあったけれど,うれしかったことも楽しかったこともたくさんあった。

P28僕は気づいたんだ。僕はひとりぼっちなんかじゃなかった
 こうくんや先生,ボランティアさん,ほかにもたくさん支えてくれる人がいた
 気づかなかっただけで,僕にはたくさんの味方がいたんだ
 そう考えると,お父さんとお母さんと生まれるはずだった妹がいなくなって
 くもり空だった僕の心が少し晴れていく気がした

P29僕は決めた。僕たちを助けてくれた,たくさんの人たちに「ありがとう」
 の気持ちを伝えるんだ。「だから,見ててね」

P30十数年後・・・。「生きたかった人たちの分まで精一杯生きるから」
 そして,「今度は,僕がみんなを助けるよ」

P31海は沢山のものを奪っていった。けれど,奪われたものだけじゃなかった
 沢山の助けと支えをくれた。だから,僕は,みんなに伝えたいんだ
 「ありがとう」
 そして
 「ひとりじゃないよ」

P32後悔しないために,今,自分にできることはなんだろう 
 「考えてみよう」


 震災の時,皆さんは2,3,4歳でしたね。
 幼い心の中にも,強烈な思い出として記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。

 あの時は幼かったけれど,今だったら何かできるかもしれない。
 あの時力を尽くしてくれた全ての人たちへの感謝の気持ちとともに,
 教訓を生かしたいですね。
 
 じっくり考えてほしいと思います
 そして,忘れないでほしいと思います

 校長先生が伝えてきた「一に命」「二に生き方」
 これからもどうか胸におき,生活してほしいと思います。

             2011.3.11 矢本第二中学校 校長 松﨑 和佳子

 「一に命 二に生き方」